辺野古事故への市民団体の対応に感じた違和感の正体

辺野古で船が転覆して女子高生が亡くなった事故。
市民団体がご遺族に対して直接の謝罪をしないどころか、女子高生を抗議活動中の: 殉教者のように発言する人や、殉教者扱いする人までいて、この人たちって、なぜこういう態度を取るのだろう、と不思議に思っていました。


そうしたなかで、デイリー新潮の記事が大変参考になりました。その内容を整理すると次のようになります。

ステップ団体の思考・主張批判されているポイント
① 原因の所在「政府が埋め立てを強行しなければ、抗議活動は起きなかった」全ての責任を政府に帰せしめる「他責的思考」
② 活動の正当化「自分たちは未来の子供たちのために正義の活動をしている」社会参加の満足感が目的化し、安全責任が希薄化
③ 謝罪の拒絶「謝罪することは、自分たちの活動の非を認めることになる」一人の人間としての誠実さより、政治運動のメンツを優先
④ 結論「最終的な責任は政府にある」事故当事者としての直接的な責任の所在が曖昧に

今回、「なるほど」と気づかされたのが、

「社会参加の満足感が目的化し、安全責任が希薄化」
一人の人間としての誠実さより、政治運動のメンツを優先」

この辺りの価値観の乖離が、私たちには理解しがたい、あるいは議論が噛み合わない原因なのでしょうね。 普段は「デイリー新潮の記事はあまり参考にならないな」と思っているのですが、今回は非常に腑に落ちる内容でした。



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